ドイツ語で《存在》を意味するSein(ザイン)の響きは、ゴルゴダの丘にあっては、供犠の磔刑の「釘」である、と言いたいところであるが、残念ながらそうではない。「釘」はヘブライ語でヴァウであり、音価はV、数値は6である。
 ヘブライ文字のヴァウ(V)はザイン(音価Z数値7)と形が似てはいるものの、違う文字である。ザインの意味は「剣」であり、双子座に関連する。まるで《存在》の意味は剣=戦争であるような話であるが、それよりずっと意味深長に思われるのは、《存在(ザイン)》に先立つものが、三つの釘、三つのV、三つの6――獣の数字666であり、それがメシアを十字架=タウに釘つけにしているかに見えてくることなのだ。666という獣の数字が777という戦〔いくさ〕の数字(それは審判の数字であり、またオラム・ハ=クリフォト、すなわち邪悪な《殻(シェル)》の世界の数字である)に先立つ。
 とはいうものの、他方でヴァウに当たるラテン・アルファベットのVは、それ自体が十字架のXを分割した象形であることから、ローマ数字でむしろ5を表す数でもある。
 5は容器の破砕を齎したかの恐るべきセフィラ・ゲブラーのことをいやでも僕に想起させずにはいない。それは火星をシンボルし、そして、それを支配する天使は何故か、ゲブラーの神(エル)たるガブリエルではなく、盲いた神、神の毒の異名をもち、しばしばデミウルゴス・ヤルダバオトとも同一視されるサマエルなのである。サマエルはサタンの異名としても知られ、アダムと離婚後、リリスがその元に走ったのは、サマエルという名におけるサタンであったという伝承を僕は思い出す。
 5であると共に6である文字V。それ自体がXを二つに引き裂く分裂の文字であるとともに、まことに裂け目の如く、5と6の間に不可思議な亀裂を、峡谷を、深淵を、それは描いているようにもみえてくる。とはいうものの、第6のセフィラは、美にして太陽であるティフェレトであって、神の慈悲の左手として知られ、裁きの右手であるゲブラーに対照される木星のゲドゥラー、ケセドではない。ケセドは第4のセフィラであるからだ。
 何ゆえに《容器の破砕》の悲劇が起きたかを巡って、コルドヴェロとルーリアが議論したという話をきいたことがある。すなわちゲブラーに代表される裁きの力の過大の故にか、ケセドに代表される慈悲の過剰が悲劇を招くもとであったのか、と。あるいはまた、二つの相反する力の間の均衡が崩れたこと、バランスを失うことこそが、諸悪の根源、諸悪の起源であると訳知り顔に論ずる者までもいる(最も凡庸な意見であると僕は思っているが)。
 。。だが、ここで、僕はふと或る事に気づく。ティフェレト(美)の別名は、ラハミーム(愛または慈悲)でもあったということに。そしてケセドよりも一層、ゲブラーの異名であるディーン(厳格な正義=判断力=裁き)の原理的力に対抗する、優しき慈悲の原理の名として語られるのは、むしろティフェレトの異名であるところのラハミームではなかったか。
 だとすれば、5と6の間に跨り、二つの原理の分裂をかたどるかのようなVの象形は、むしろ火星と太陽、ホルスとラーの間で、《容器の破砕》の出来事を考え直すべく、僕に促しているともいえるのではないか。
 もちろんそれに何の根拠も無いのである。というよりそれはいくらでも他のようでもありうる話であり、従って、何の必然性も無いが故に無根拠だといっているのだが、だからこそ、それはむしろ〈運命〉的に考察意欲をそそるのだ。

(以下続くカモシレナイ)